CA MOBILE TECH BLOG

株式会社シーエー・モバイルのエンジニア・デザイナーの活動を綴るブログです

株式会社シーエー・モバイルの技術広報による、
技術に特化したブログです。
エンジニアとデザイナーの活動や思想を綴ってゆきます。

技の履歴書 ー デザイナー・近藤 圭

f:id:cam-engineer:20180524102108p:plain ユニークな発想で視覚的に課題解決を行う技術者・デザイナー。このシリーズでは、その来歴を因数分解することによって、作品へのより深い理解を追求します。

第二回は、アカデミックな文脈における現代美術家を経て、デジタルクリエイターとなったデザイナー・近藤 圭さんをピックアップします。コミュニケーションを生む場を追ってきた半生を、興味深く語ってくれました。


▼プロフィール▼

近藤 圭(コンドウ ケイ) 1978年生まれのB型。万年筆でデザインするクリエイティブディレクター。主に女性向けのサービスを中心に、デザイナーの自己満足に陥らない、サービスの成長に繋がるデザインを考えています。


ものづくりとして考えてきたこと

思考はギャップや、“引っかかり”から始まる

振り返ってみると、いろいろやってきましたが、僕は、いつもコミュニケーションとディスコミュニケーションの違いについて考えてきました。

ギャップや、“引っかかり”と言うものが、物事を考えるきっかけになって、そこからの問題提起をするという流れだったと思います。

f:id:cam-engineer:20180522172749p:plain
▲ 引っかかりやギャップがアイディアのきっかけになったという
また、作品のテーマは、いつもコミュニケーションが生まれる「場」でした。

これは、大学1年生の時、川俣正さんのゼミに所属していて、彼のサイトスペシフィック・アート(※ とある場所にあるべくして作られたアートやパフォーマンスのこと)の考え方に影響を受けていたという背景があったからかもしれません。



現代美術家としての活動

リヒターとの出会いと現代美術への傾倒

もともと、3浪で芸大(東京藝術大学)の美術学部油画科に入学したんですが、いわゆるアカデミックな油絵はほぼ描いてなくて。

浪人時代含めて美術を研究してゆくうちに、現代美術にどっぷりはまりまして。特にゲルハルト・リヒターという作家の絵や考え方に強く影響を受けました。

f:id:cam-engineer:20180522171900p:plain
▲ 特に影響を受けたという3冊。中でもリヒターは原点的な存在に

リヒターの本を読み進めるうちに、写真と絵画の関係性をよく考えるようになりました。

それまでに知っていた、絵をただ写実的に写真に寄せてゆく行為には違和感を感じていましたので、リヒターのダイナミックな作風が、写真以上に写真らしい表現だなと感じるようになり、その辺りからすんなりと現代美術の世界に入っていったんですよね。

その後、リヒター的なものを描きながら、リヒターをどう理解するかを追求していきました。

f:id:cam-engineer:20180522163719j:plain
▲ 大学一年生の頃の作品。リヒターの影響が伺える

写真については、メディアとしてそこまで注目していなかったんですが、リヒターに出会ってから変わりました。

大学の選択科目に写真実習があったんですが、そこでは撮るだけじゃなくて、フィルムを自分で現像するところまでの一連の作業を経験するんですが、それが楽しくて。いつしか暗室にこもるのが好きになっていきました。

メディアとしての写真を再評価

そこから写真にはまって、森山大道などの写真家のスタイルや、現象学とか考え、ロラン・バルト(※20世紀フランスの哲学者・批評家)に出会いました。

一枚の写真を通して、撮る人と見る人の間で発生する感じ方のギャップこそが写真の魅力で、そこにコニュニケーションが生まれるとか、そういうことを考えて、だんだん過去の自分との繋がりが出てきた感じです。

もちろん、ここでも道具・カメラやレンズに凝り始めましたね、ライカにハッセルブラッド・・・。集め始めちゃうんですよね。

食を通した身体的行為の探求

それから、作品は、写真やインスタレーション作品という形を成すようになりました。

大学4年の時、同級生や友人たちとボスニアにいって、ドイツ人、ボスニア人、オランダ人と日本人で共同生活しながら作品を作っていました。

そのときの体験を、この「スローフード」というタイトルのショートムービーにしているんですが、そこでの食生活や食に対する文化の違いが、自分のインスタレーション作品の原点になっていて。

f:id:cam-engineer:20180522171921p:plain
▲ その時に制作したショートムービー「スローフード」

僕が大学4年生だった2004年当時、日本では狂牛病が問題となっていて、牛丼の吉野家が豚丼を出しているような時、ボスニアのスーパーには仔牛の頭部が所狭しと並んでいました。

日本人が見たら、まあ、ギョッとする光景ですよ。

食に対する好奇心からそれを買って、調理を試みる訳ですが、あれこれいじるのもちょっと気がひけるので、丸ごとオーブンで焼いた方がいいかなと思ったのですが、(大きすぎて)入らないんです。

それで仕方なく、なんとか解体していって、それを映像に記録していったのですが、そこでドイツ人がドン引きして。

その時「日本人は鯨も食べるし...」って言われて、え、ちょっと待って、と思ったんですよ。

ここに問題意識を感じて、日本の畜産市場を見にいくとかしながら、日本の畜産業の歴史を勉強しました。

f:id:cam-engineer:20180522171911p:plain
▲ 国籍の違うメンバーの食に対する文化的感覚の違いが、制作のきっかけに

映像は、生々しく見えないようモノクロにしました。解体後の骨は、後で日本に送って、映像とともにインスタレーションとして卒業制作の作品にしました。

結果、その作品でサロン・ド・プランタン賞(※)をいただきました。(※ サロン・ド・プランタン賞:芸大の卒業作品の中で優秀作品に対して授与される賞。 )

また別の作品になるのですが、ボスニアの紛争で失われた博物館の跡地で毎日、土地をならして、ボーリング場の数レーン分の平面を作るパフォーマンスをしていました。

f:id:cam-engineer:20180522163710j:plain
▲ 毎日、黙々と地ならしをするパフォーマンスを展開。

僕はそのパフォーマンスに「再生」という意味と「レクリエーション」の意味をかけて「Re: creation」というタイトルをつけました。

ボーリングって、相当昔からレクリエーションの代表なんですね。その昔は、木こりの暇つぶしの遊びだったとか。



様々なメディアとコミュニケーションの形

ケータリング・デザイン

大学院で壁画研究室に入ってからの2004年から2007年くらいにかけては、仲間2〜3人と展覧会やイベントのケータリングのデザインをしていました。パーティーのコンセプトに合った食材や見せ方、プレゼンテーションを考えたり。

Global Souk's reception 1

在籍していたのが中村政人さんという現代美術作家の研究室で、壁画といっても、「公共の空間で、広く人を巻き込んで展開するアート作品はすべて壁画といえる」というようなオープンで現代的なコミュニケーションや自由な活動を大事にする研究室だったので、こういう活動を自由に行っていました。

f:id:cam-engineer:20180522163713j:plain
▲ 残っている資料は少ないが、かなり本格的な活動だった模様

リクリット・ティラバーニャ(※ 1961年アルゼンチン生まれの現代美術家。観客とのコミュニケーションを重視したアートで知られる。)的というか、コミュニケーションが生まれる場を作ることをコンセプトの中心に、食への関心の掘り下げや食の見た目をデザイン的に変容させることなんかを考えていました(グループとしてというよりは個人として)。

f:id:cam-engineer:20180522171903p:plain
▲ 考えるだけでなく、実際に料理も手がけたというから驚きだ

結構、大小様々なイベントに関わりましたね。

特に印象的だったのは、この活動のきっかけとなった東大博物館(※ 東京大学総合研究博物館小石川分館)で、館内を貸し切る大規模な展覧会をやって、プラレールの動力で轟音を立ててぐるぐる回る(オープニング祝いの)ウェディングケーキを作ったりもしました。なかなか壮観でしたよ。

また、子供向けのワークショップもやっていて、食文化や食の世界の拡がりを伝えるのにGoogleMapのAPIを使ったりとウェブを活用していました。これも今につながっているのかもしれません。

ちなみに大学院の研究室では外部からゲストを招いてのゼミも結構あり、その中で来ていただいた佐々木正人さんに教わった「アフォーダンス」という理論は今の仕事のUIやUXヘの理解にとても役立っています。

前出の『デザインの生態学』という本はアフォーダンスというアプローチからのデザインについての思索が詰まっているので、デザイナーにオススメしたい1冊です。



作品と仕事の完全な分離

3年くらいやった後、それぞれの道を行くことになりまして、残念ですが解散しました。

僕はそこ(2007年ぐらい)からウェブの仕事をしながら、大学の関係で声をかけてもらって映像・情報メディアセンターの立ち上げにスタッフとして携わることになりました。

それから1年、その施設の運営の中でアートや写真のワークショップや、一般向けのウェブリテラシーの講座など、多方面的な仕事をやりました。

2008年に、今度はウェブコンサルの会社にデザイナーとして入社しました。

ただ、制作物の量がとにかくすごく多い会社で、作業のスピードや効率化、チーム力をどう上げていくかなど勉強になったことも多かったのですが、さすがに少し疲れたのと自分の将来にまだ迷っていたこともあり、ここも1年くらいで辞めました。

f:id:cam-engineer:20180522172753p:plain
▲ 仕事としてデジタルの世界に入っていくが、作品からは離れていく

その後、当時の彼女(今の奥さん)との結婚も考え始めていたので、ここらで安定して働こうと思うようになって、2010年に株式会社zeronana(※ CAMの子会社)に入社しました。

でも、当時の僕はCAとCAMの違いもよくわかっていなくて、単に大きな会社よりもこじんまりしている方が自分に合っているだろうということで、CAM(zeronana)を選びました。

もちろん、事業内容や手がけた事例が面白かったからというのはあります。

それまで1年から数年おきに、気の向くまま職を変えてきた僕ですが、気づけば8年もCAMで仕事を続けています。

それは多分、居心地が良い環境だからというのはもちろんですが、今の仕事が作品作りとか思想とかとは全く違うアプローチで成り立っているということもあるかもしれません。

これまでの経験上、仕事と作品をすり合わせるというのは非常に難しいことというのがわかっていますから、今後も仕事は仕事というスタンスは変わらないかもしれません。



人生を彩るモノの話

美しい道具たち:万年筆

最後に、自分の好きなモノの話をしようと思います。僕は完全に型から入るタイプで、新しいことを始める時、いつも格好から入って、そして、とにかく集めたがる性格なんですよ。

集めているものの一つが、万年筆で、最初に手にしたのは一番左のペリカンのもの。

f:id:cam-engineer:20180522171912p:plain
▲ 左から :ペリカンM600 ・ペリカンM101N ・中屋万年筆桔梗 ・PILOT カスタム845

もともと絵描きなので、自分の手から物と物が接触しながら何か(跡)を残す感覚が好きで、その点でいうと万年筆は、特に紙とインクとペン先で書いているっていう実感があるんですよね。紙との相性というか、ペン先との組み合わせを楽しんだり。

f:id:cam-engineer:20180522163731j:plain
▲ 万年筆の文字は、紙とインクとペン先のセッションが楽しい

右の2本は「エボナイト」という素材に漆を塗ったものなんですが、エボナイトっていうのは、プラスチックの形成がまだ自由にできなかった時代によく使われていた素材です。

特に右から2本目の青いのは一番のお気に入りです。漆で青っていうのは、結構珍しくて。職人にペン先をオーダーで調整してもらった1本です。

次に、やはりというか、ペン習字にはまりまして。道具が揃うと、やっぱり使いたくなるじゃないですか。

それで文字が書きたくなってきて。ひたすらに文字を書きたい。それで習字ですよ。

ペン習字の通信講座を受け始めて今も一応続けているのですが、初段もとりました。

f:id:cam-engineer:20180522163716j:plain
▲ 始めたら凝るタイプらしく、ペン習字は初段の腕前

漢字、かなの生い立ちや名筆、書体に詳しくなり、そのおかげでフォントやタイポグラフィへの理解も深まったと思います。その辺が、今の仕事につながっているのかもしれません。


ー ー ー ー ー ー

デジタルの世界で活躍する今、アナログの極みともいうべき万年筆を楽しむ姿は、図らずも人間としての原点回帰を試みているようにも見えました。今後も、どこかで“引っかかり”に出会い、問題提起としての作品を生み出していくのでしょう。履歴書はまだまだ終わることはありません。